地図は坂の角度は記載されていませんので
地図をもとに福知山をドライブするとなんと
坂の多いこと!!と感じられると思います。
そこに暮らす人々の歴史はお社やお地蔵様に表れています。
猪野野地域から北に進み宮垣(みやがい)
地区に入って行くのですがなかなか宮垣に
行くことができず ぐるぐる回ってしまいました。
灯篭が目印です。
「明治12年8月」と・・・。
彫られています。
公会堂の横にはお地蔵様が3体祀られていました。
お地蔵様を拝んだ後
1車線の道もあり譲り合いながら北へ進みます。
約10分ほどでしょうか。
急な坂道となり宮垣地区に到着。
ゴミの収集車・郵便屋さんぐらいしか通らない
と地域の方からお話をいただきました。
しかしそこには威徳寺観音堂がありました。
境内には沢山のお宮さんがありました。
ひとつひとつお地蔵様に手を合わせて
歩いていると久しぶりの人間(私noto)の登場に
蜂がびっくりしていたようです。
私もびっくりしました。
でも見逃しませんでしたよ。
この威徳寺観音堂では藤原時代。
約10世紀前の仏像122体が安置されおります。
なかでも本尊千手観音立像が重厚な顔で堂々たる仏像も安置されており
丹波・丹後を通じても最も古い仏像の一つに挙げられています。
多数の仏像が威徳寺にあることについては 現在の下佐々木にある
威光寺の古い記録に歴史が記載されています。
そこには・・・・。
天正7年1579年、明智光秀が福知山城築城の際にもろもろのお寺から石塔などの
供出を命じましたが36カ所のお寺からこの命令に服さなかったため お寺自体を取り壊してしまった
歴史があります。こわされたお寺から仏像を運び出した心ある人々によって威徳寺観音堂
に集められたと考えられます。
多数の仏像が藤原仏であるということは学術的にも貴重な文化財です。