福知山市宮出身 第47代内閣総理大臣の芦田均氏を顕彰する
活動を続けられている芦田均元首相顕彰会の方から
資料をいただきました。
過去に出された新聞記事の出だしは
芦田均氏の人生をナポレオンの人生にたとえてこのように記載されています。
彼の53年の生涯のうち47年間は逆境にあり残り6年間が執政ならびに帝王として
安穏の生活だったと言われています。
芦田均もこれに似ていると言われている。
27年間の代議士生活のうち安穏だったのは総理大臣になるまでの4年間に過ぎなかった。と・・・。
芦田均氏の生い立ちは・・
明治20年11月20日。福知山市宮。旧中六人部村の豪農に生まれます。
明治37年春一高に入学。初めて東京の土を踏むまで丹波で過ごした純粋の丹波人です。
昭和34年6月20日。71歳で死去
福知山に残した功績の記事は・・
由良川改修工事の促進・陸上自衛隊福知山駐とん部隊の誘致
福鉄局の誘致など
そしてその新聞記事には同じ時代を生きた
同級生のエピソードも記載されていまいました。
■ 小学生の頃から勉強もケンカも一番強かった。
■ 子どもの頃から外交官を目指していた。
■ 子どもの頃騎馬戦が子どもの中で流行したときいつも上にのる大将だったそうです。
■ 10才になって高等小学校入学。兵庫県氷上郡柏原町の小谷家に預けられます。
そこではじめて規則正しい生活を教わったそうです。
■ 高等小学校の2年を終え柏原中学校に入学したのが明治32年。
■ ある日、均さんから2m近い長い手紙が届いたそうです。その文章の中には一生のうち一度は
必ず総理大臣のいすに座ってみせると書かれていたそうです。
■ 芦田均家で女中として働いていた女性は仕事を失敗したときに芦田均氏は罪をかぶってくれたそうです。